31の徒然日記

思ったことを綴っていきます

誰のセイ?

寮の友人たちと徹夜で話したことを少し.
明治時代の富国強兵によって一夫一妻制と姦通罪が生まれた.
前者は将来的に多くの兵士を確保するために一人の男性につき一人の女性が嫁入りするというもので、一時期話題になった「生産性」に纏わる話(この時代からあった考え方だということに驚き).
これによって個々人が各々持っている恋愛観が規定(否定)され男性と女性のカップリングのみが許容されるようになった.
後者は生まれた子供が誰の子かをはっきりさせるために浮気を禁止したものである.
これによって平安時代にあったようなフリーセックス、コミュニケーションとしてのセックスが否定された.
これらの法律によって人々の意識が規定されることになる.
人は社会規範に則って人格形成される(例えば平安時代における女性や男性のモテる基準)が、その社会規範はやはり法律等から生まれる.
すなわち江戸時代では許容されていた同性愛を含めた多様なセクシャリティが否定され、極端な程の貞操意識の高さ(下ネタNG等)が形成されたのだろう.
現在においては前者は社会として改善されてきているがまだ根強い偏見は残っている.
後者に関しては少なくとも僕の周り(一般の人よりも教養がある人の割合が多くはあるが)でもまだ憚られる.
このことを通して何が言いたいかと言うと、僕が現在彼女が出来たことがなく童貞であるという事実には、セクシャリティ(僕の恋愛対象)が規制されコミュニケーションとしてのセックスという考え方が出来ないという社会規範、すなわち明治時代の富国強兵がある程度影響がある.
これらは自分自身の問題のはずなのに、社会によって縛られたものになっている.
性に関する問題は自分自身の問題(自分のためのもの)のはずであるが、(恣意的な見方かもしれないが)社会によってコントロールされている.
だから僕は恋愛経験ゼロの童貞なのは悪くない、とまでは言えないが面白いなとは思った.