31の徒然日記

思ったことを綴っていきます

【鑑賞記録】イヴの時間

暇だったのでイブの時間という作品を見た。小学生か中学生の頃に父親に見せられたことがあり、今回は二度目の視聴。そこで気がついたことがあったので書き留めてみる。

話としては、アンドロイドが普及している日本(とよく似た世界)が舞台。アンドロイドは頭に表示しているホログラムが無ければ人間と区別つかないほど精巧に出来ているが、人間の言うことに無機質に従う「機械的な」反応しかしない。そのような社会で、人間とアンドロイドを区別しない、ホログラムを消して人間と区別がつかなくなったアンドロイド達が人間のように振る舞う不思議な喫茶店で、主人公達が様々な「ヒト」と出会うというお話。

単刀直入に言うと、この作品は僕の感性に強く働きかける。特に1回目に視聴した時よりも自分のことが分かってきた2回目に見たからこそ働きかけるものがあった。もちろん話や設定が自分の趣向に合っているというのもあったが、それとは違う何かがある。

この感覚は実は別の作品でも覚えたことがある。とあるシリーズである。学園都市という閉塞した空間で、登場人物達が超能力を駆使して躍動的に活躍する、この作品を知った時にそのようなイメージ(というか偏見?)を持っており、それが故にとあるシリーズに強い憧れを抱いていた。実際に一通り視聴してみたら、作品として充分楽しめたが、そのようなイメージとは実際は少し違ったので、この感覚をしばらく忘れてしまっていた。それを思い出したのがこのイヴの時間である。

茶店自体は鉄筋コンクリートに囲われていて窓がない。その代わりにでかいスクリーンに森が描かれているが、基本的に無機質で閉塞的な空間になっている。しかし主人公達はそこで様々な出会いをし、様々な話を聞き、成長する。登場人物は、たとえアンドロイドであったとしても、皆生き生きとしている。自由で開放的な空間になっている。この「閉塞感の中の開放感」が僕の心に刺さるのである。

思い返せば、僕が心惹かれる空間や世界観の多くには、この「閉塞感の中の開放感」がある。京都という町にもそのような感覚を覚えて、漠然と心惹かれて来たと言っても過言ではないだろう。前々から自分が強く惹かれるものには一貫した何かがある事は本能的に察していたが、言語化までは至らなかった。しかしこの作品に再び視聴して漸く言語化できた。もしかしたら違っているかもしれない。しかし一旦言葉にするということが大切な気がする。違っているのなら分かった時に変えればいい。この問題に解答時間はないのだから。

視聴記録としておきながら、ただのカミングアウトをする場になってしまった(まぁ記録が作品の内容を記さないといけないと決めた訳では無いが)。先にも述べたが、「閉塞感の中の開放感」を抜きにしてもこの作品の話や設定自体も充分楽しめる。醸し出す雰囲気も素晴らしい。中毒になるような魅力がある。もう10年くらい前の作品になるが、続編の望む声も多い(僕もその1)。今回見たのは劇場版だが、漫画版や小説版も出ている。それらはそれぞれを補近してくれるらしく、機会があれば手に取ってみたい。映像版では明らかにされていない設定が山程ある(既に考察サイトは見てしまったが)

茶店イヴの時間」に是非行ってみたいものだ。この世界は作中程アンドロイドの発達及び普及はしていないが、様々な文脈を持った人がゆったりとした時間を過ごしながら時を共にする。「閉塞感の中の開放感」は僕に何をもたらすか分からないし、別に物質的に何かを得ようとするつもりもない。しかし本能的に求めている節がある。なぜかはあまり分からない。「閉塞感の中の開放感」自体が目的になっている。熊野寮は喫茶店イヴの時間」に準ずる空間のように思える。そして僕はそれを求めて入寮した。求めていたものがそこにはあったし、自覚するのは難しいが、そのおかげでとても充実した時間を送っている気がする。

作中何回か登場する標語「Are you enjoying the time of EVE?」。副題にもなっている。僕にとって「閉塞感の中の開放感」を象徴する言葉になっている。別にこの作品の世界に没入するつもりは無いが、この言葉を時々思い出して「閉塞感の中の開放感」を求めてみるのもいいかもしれない。