【鑑賞記録】空挺ドラゴンズ
時系列的にはイヴの時間の数週間前に視聴.Netflixで視聴.一気に見倒しました.
話としては、ハイファンタジー(この単語はこの作品で知りました)な世界での「龍捕り」達の日常を描いた作品.その世界には「龍(オロチ)」という生物(生物と言っても種を示す言葉ではなく、空に生息する生物全般を指す、「魚類」と似たような概念)がいて、それを狩って素材を販売して生計を立てる人のことを「龍捕り」という.彼らは生活のほとんどを、龍を捕獲するための飛行艇の上で過ごす.そこでの日常を描いたお話.
世界観はジブリのまさにそれ.かなり影響を受けていて、登場する機械類は既視感があった.だから設定が新しいのに、ずっと世界観に入れ込めたのか(馴染みがあったから).
ファンタジーならではの作中独自の倫理観や登場人物の背景、そこに別世界の視聴者をどう感情移入させるかが問題になってくるが、生き生きとした登場人物の様子がそれを促す.これは少なくともファンタジー系の作品全般に言えることのように思う.そしてこの作品も例外ではない.個人的にはよくできていたと思う(上からで恐縮).特に主人公が見習いという設定で、その感情の揺れ動きが顕著だった.ちょっと前の3DCGは人の顔が口以外ほとんど動かなかったが、最近のは表情までヌメヌメよく動く.
作品として非常に面白かった.日常系だか、変なコメディに逃げなかったのにも関わらず、飽きなかった.特筆したい点が2点.1点目.料理がめちゃくちゃ美味しそう.3DCGの解像度をふんだんに活かした、まるで本物かのような料理の映像.画面から匂いがしてきそうでした.食べてみたくなった(寮食ででないかな).2点目.龍の躍動感.龍がとても美しい.あんな宝石みたいにキラキラ光る生物いないだろとは言いきれない程度の造形(実際もっとテカテカの生物は現実にいる).あれに魅せられて龍捕りになる人がいるのもわかります.
あと音楽がよかった.神山羊の「群青」.歌い出しからAメロをYoutubeでヘビメタしました.あの中毒性はなんだろう.確かに全体的に荒削りな感じはあった(新人さんらしい)が、音作りやメロディの作り方がとても自分好み(というより理想の1つ?)だったのかもしれない.
原作は漫画で、まだ連載中(2020年2月現在).2期とかやって欲しいな.Netflixの結構おすすめ上位に上がっていたので行けるか?
【鑑賞記録】イヴの時間
暇だったのでイブの時間という作品を見た。小学生か中学生の頃に父親に見せられたことがあり、今回は二度目の視聴。そこで気がついたことがあったので書き留めてみる。
話としては、アンドロイドが普及している日本(とよく似た世界)が舞台。アンドロイドは頭に表示しているホログラムが無ければ人間と区別つかないほど精巧に出来ているが、人間の言うことに無機質に従う「機械的な」反応しかしない。そのような社会で、人間とアンドロイドを区別しない、ホログラムを消して人間と区別がつかなくなったアンドロイド達が人間のように振る舞う不思議な喫茶店で、主人公達が様々な「ヒト」と出会うというお話。
単刀直入に言うと、この作品は僕の感性に強く働きかける。特に1回目に視聴した時よりも自分のことが分かってきた2回目に見たからこそ働きかけるものがあった。もちろん話や設定が自分の趣向に合っているというのもあったが、それとは違う何かがある。
この感覚は実は別の作品でも覚えたことがある。とあるシリーズである。学園都市という閉塞した空間で、登場人物達が超能力を駆使して躍動的に活躍する、この作品を知った時にそのようなイメージ(というか偏見?)を持っており、それが故にとあるシリーズに強い憧れを抱いていた。実際に一通り視聴してみたら、作品として充分楽しめたが、そのようなイメージとは実際は少し違ったので、この感覚をしばらく忘れてしまっていた。それを思い出したのがこのイヴの時間である。
喫茶店自体は鉄筋コンクリートに囲われていて窓がない。その代わりにでかいスクリーンに森が描かれているが、基本的に無機質で閉塞的な空間になっている。しかし主人公達はそこで様々な出会いをし、様々な話を聞き、成長する。登場人物は、たとえアンドロイドであったとしても、皆生き生きとしている。自由で開放的な空間になっている。この「閉塞感の中の開放感」が僕の心に刺さるのである。
思い返せば、僕が心惹かれる空間や世界観の多くには、この「閉塞感の中の開放感」がある。京都という町にもそのような感覚を覚えて、漠然と心惹かれて来たと言っても過言ではないだろう。前々から自分が強く惹かれるものには一貫した何かがある事は本能的に察していたが、言語化までは至らなかった。しかしこの作品に再び視聴して漸く言語化できた。もしかしたら違っているかもしれない。しかし一旦言葉にするということが大切な気がする。違っているのなら分かった時に変えればいい。この問題に解答時間はないのだから。
視聴記録としておきながら、ただのカミングアウトをする場になってしまった(まぁ記録が作品の内容を記さないといけないと決めた訳では無いが)。先にも述べたが、「閉塞感の中の開放感」を抜きにしてもこの作品の話や設定自体も充分楽しめる。醸し出す雰囲気も素晴らしい。中毒になるような魅力がある。もう10年くらい前の作品になるが、続編の望む声も多い(僕もその1人)。今回見たのは劇場版だが、漫画版や小説版も出ている。それらはそれぞれを補近してくれるらしく、機会があれば手に取ってみたい。映像版では明らかにされていない設定が山程ある(既に考察サイトは見てしまったが)。
喫茶店「イヴの時間」に是非行ってみたいものだ。この世界は作中程アンドロイドの発達及び普及はしていないが、様々な文脈を持った人がゆったりとした時間を過ごしながら時を共にする。「閉塞感の中の開放感」は僕に何をもたらすか分からないし、別に物質的に何かを得ようとするつもりもない。しかし本能的に求めている節がある。なぜかはあまり分からない。「閉塞感の中の開放感」自体が目的になっている。熊野寮は喫茶店「イヴの時間」に準ずる空間のように思える。そして僕はそれを求めて入寮した。求めていたものがそこにはあったし、自覚するのは難しいが、そのおかげでとても充実した時間を送っている気がする。
作中何回か登場する標語「Are you enjoying the time of EVE?」。副題にもなっている。僕にとって「閉塞感の中の開放感」を象徴する言葉になっている。別にこの作品の世界に没入するつもりは無いが、この言葉を時々思い出して「閉塞感の中の開放感」を求めてみるのもいいかもしれない。
誰のセイ?
未成年はなぜお酒を飲んではいけないのか
日本では満20歳未満の飲酒は法令で禁じられている.
そんなことは言われなくても知っている.
そこで問いたいのは、何故未成年は飲酒してはいけないのか、ということである.
今述べたように法令で禁止されているから、という答えを述べる人がいるが、その主張はすごく正当性を帯びているようにも思える.
法律でダメなものはダメ、当然だ.
では法律で禁止されてなかったら、或いは法が適応されない空間(そんな空間は果たしてあるのか(意味深))でその人らはお酒を飲むのか.
国によっては高校生の年齢から飲酒が合法化されている.
お酒を飲んでいい基準が20歳であることの正当性が担保できない(18歳でも身体的には問題がないと言える)以上、法令遵守以外の一般的なインセンティブはないと言える.
そこでもう一度問いたい.
何故未成年はお酒を飲んではいけないのか.
勘違いしないで欲しいのは、法律を積極的に犯す先導をしようとしているのではない.
例えば、人を殺めることを法律で禁止されていなかったら僕たちは人を殺めるのか、という質問をしてみる.
皆なんて答えるだろう.
絶対に殺さない、と僕は答えるだろう.
もちろん理由付きで.
こういうことである.
何が言いたいかというと、自分らの届かない外的な枠組みを押し付けられている状況で、ただ何も考えずにその枠組みに従うのか自分なりの答えを用意し自分なりにその枠組みに向き合うのか、ということである.
前者は僕は嫌いだ.
だって会話にならないから.
なんでそう考える(する)の?
だってそういうもんだろ.
そこに理性はあっても知性がない.
本能的でもない(それは外部が与えたものだから).
別にあらゆる事象に自分なりの答えを用意しておけと言っている訳では無い.
僕だってただ社会的な規範に無意識に従っていただけだったと後々に自覚することがしょっちゅうある.
ただそれを自覚した時に自分なりに答えを出そうとするか否かが大切なような気がする.
談話室での入れ替わりコンでふと思った.
他人との距離感について①
今日OBさんMと僕の他人との距離感についてのお話をした.
僕は他人と仲良くなる時、ここまでは許されるがこれ以上は許されないというラインを見極めて、そこをスレスレセーフで攻めるコミュニケーションを取っている.
これは他人からよく言われていることである(とある別の先輩Kからその線の引き方が天才的に絶妙と言われたこともある)が、自分自身も他人とのファーストコンタクトの際無意識にそういう線引きをしているというメタ的な意識があった(その線引きが出来ない人とはなかなか仲良くなれないという自覚がある).
このコミュニケーションの良い点としては、その相手と仲良くなるのにかかる時間が通常(普通?)よりもかなり短いというところだと思う.
僕もそれで同期に比べてかなり早いタイミングで上回生と交流を深められたという自負がある.
悪い点としては、「生意気」なのである.
時間をかけて構築すべき距離感を一方的に進行してくる図々しさ、相手に対する敬意が一見大きく欠けて見える傲慢さ(基本的に僕は目上の人(上回生や年上)には敬意を払って接してはいるつもり).
これらを嫌う人もいるだろう.
現に嫌がっている人がいるという話も間接的に聞いた.
そのMとの話は、そういう人がいるからそのコミュニケーションの取り方は考えた方がいいという内容だった.
僕は不器用な人間なので、そういう人は所謂「合わない人」ということで諦めるスタンスでいた.
しかし人間関係とは複雑であり、僕とその人の関係は傍から見てどう見えるか、僕とその人の共通の友人が3人が一堂に会する空間でどのような対応する羽目になるか、そこら辺を考えなくてはならない.
それは大義名分ではなく、その第三者から見える「わだかまり」のもたらす弊害は全て自分自身に来るからである.
相手との距離感をもう少し余裕を持って測るべきと言われた.
また、僕自身が抱える問題として、このコミュニケーション方法しか取ることができないということである.
依存している.
逆に「線引き」ができない人と仲良くできない.
苦手意識すら芽生える.
これは確かに問題であるし、もっと社交的な交流を学ばなくてはと思った.
人間関係ってたいへんだなぁという話.
他人との距離感について②
OBのMとのお話で出た話としてもう1つ.
僕は人と話す時否定から入るという.
非常に印象が悪いという.
それは僕の論理の説明の仕方に問題がある.
僕はA→B→Cという論理を、「AはCだよね。だってAはBでありBはCとなるから。」と言う.
場合にはよるが、大抵僕はAがCであることを普遍的で真理であるとは思っていない.
単に僕がAはCであると思っているという、1人の意見として述べているに過ぎない.
しかし、これは僕の人間性によるのかもしれないが、そのCは大方批判的な評価である.
それは結局Aのネガキャンに聞こえる.
内容としてと言うよりも表現の仕方が悪いという話.
要するに僕の発言が他者にどう取られるかの推測が足らんという話だ.
実は僕は寮に来てからそれを考える癖をつけるようになった(というよりした)のだが、まだ足りないという.
しかしそのようなことを考え出すと何も口に出せなくなる.
そうなってくると俺の言いたいことは言えない(それはタイミングという意味でもそう).
それはとてもフラストレーションが溜まる.
そして基本的に僕はコミュニケーションの場で沈黙を作り出すことに我慢ならない.
とりあえずなにか喋らなくては、という思考回路が働く(もはや無意識ですらあり癖と化している).
まぁ単に僕の脳のキャパが少ないので思いついたことを直ぐに吐き出さないと忘れてしまうというのもあるのだが(むしろそれがこのスタイルを産んだ要因な気がする)…
そこでその話の場にいた別の先輩Kの助言で、嘘をつくといいというのがあった.
嘘をついて、円滑にその場を収めればお互いにフラストレーションも溜まらない.
しかし僕はその手の嘘が全くつけない.
この手の嘘はつけないことでもデメリットがあり、またつくことでもメリットもある(将来的なことも踏まえて)という.
だからその手の嘘をつけるようになるといいと言われた.
その通りだと思う.
そうなれるよう努力したい.
別に真っ赤な嘘である必要も無い.
相手の意見に乗る形で話を誘導し、相手の意見を汲み取った上で自分の意見を展開できるようにすればいい.
ワンクッションいれて自分の意見を言うということだ.
しかしこれはかなり経験がいる.
自分への自信もいる.
「自分への自信」.
これが意外とキツい…
僕はこう見えて自己肯定感が低いンデスヨ.
まぁその話はまた今度.
【鑑賞記録】ヨルムンガンド
高橋慶太郎(先生、とつけるべきなんだろうか)のヨルムンガンドを見た.
漫画は実家にいた頃2,3回読んだのだが、今回は談話室のNetflixの方でアニメを見た.深夜に気が赴くままに見始めたので何日かかかって今日見終わったという感じ.ちゃんとしたアニメの考察やら感想を書くつもりは無いし、そもそも出来ないので悪しからず.
この作品は僕が今まで見てきた作品(漫画、本、アニメ問わない)の中でベスト5に入るぐらい好きな作品である.伏線がきっちり回収されて、見てて清々しい終わりだった.一見銃でドンパチする漫画にしか見えないけれど、どこか現実感があるんだよなぁ、というのが率直な感想.キャラの濃いメンバーと共に賑やかに、そして淡々と時間が流れていく.そんな中で発せられるキャラクターの言葉に、はっとさせられることが多かった.単純だなぁと自分でも思うけど事実そうだったし、なんなら今後の僕の人生観にある程度影響を与えるまであった.彼らの言葉が俺の感じた現実感の正体なのだろうか.
ココはヨナに「この世界は好きか」と問う.それに対し、自身の家族や故郷をこの世界の不条理さによって失ったヨナは、「それでもこの世界が好きだ」と答える.僕だったらなんて答えるんだろう…などとありがちなことを考えてみる.資本主義やら安倍政権やらそういう側面的な話を抜きに答えるためには、自分は世界をあまりにも知らなすぎる.「世界について」ではなく「世界」を.一人旅をしたいという気持ちがわかったような気がする.
あと、「僕は、武器商人と旅をした」この台詞、めちゃくちゃ好き(なぜかは知らん).
すごくいい作品でした.「面白い」とかではなく(もちろん面白かったが)、純粋に「いい」作品だった.